意識と経験

 一時的に巨大な精神的ショックがあると、私は、目の奥がツーンと沁み、喉がつっかえるような感覚が起こる。ショックが軽いと、手の甲が若干ピリッとする。

 目の奥の沁みと喉のつっかえは「余裕なんだが?」ってグッと意識すると、胸が締め付けられる感覚に変わることがわかった!

 わかったからって、なんなんだと、それでどうということは、ないんだけど……

 

 「意識はすごいよなんでも合うよ」

 お酒に飲まれないように自分を保つことにも、経験のおかげで慣れてきた。

 「意識と経験の夢のコラボレーション✩︎」

 自分の意識は本当にウンザリだし、本当に素敵だと思う。(素敵の強調)

 自分の経験は本当に素敵だし、本当にウンザリだと思う。(ウンザリの強調)

 ウンザリと素敵は、自分にとってどちらも同じくらい感じることでも、どちらを後に持ってくるかで受け手の捉え方が変わる。

 わかったからって、なんなんだと、それでどうということは、ないんだけど……

 

 私は意識と経験について、素敵ともウンザリとも思っている。二面性という言葉があるが、人間の思考(気持ち)に二面性は存在しない。二面性は、思考ではなく言語レベルでの捉え方だ。人間がその人を「この人は言ってることがコロコロ変わる」などと捉えるのみだ。だから例えば、好きでも嫌いとかいう気持ちは存在する。だから、話の全体と部分、結論でいうとどうなのかと、きちんと文章を組み立てて、自分の気持ち、その気持ちをどう考える(扱う)かを、誤解を生まないために、上手く言葉に落とし込むのが重要になる。

 それでも、人間の気持ちというものはなかなか結論が出せないから、「時間が解決してくれるのを待つ」ということになるし、自分にとってあまりにも気持ちの整理がつかない程のことがあれば、無理に結論を出すのは良くない。マジで!そういう時ほど人間は、自分の気持ちに正解を求めたり、こう思わなきゃと余計自分を辛くさせていくからだ。

 

 ああ私の経験が育んだ「時間が解決してくれるのを待つ」重要性!

 こうしてブログを書いているのも、そのためだ。

選択の連続が時間というものといっても過言ではない。

しかし、立っている地面が何でできているかを確認することに、随分時間をかけた。

人は大きすぎるし、向ける目はとめどない。

それでも、一歩前進する緊張のあとの喜びを大切に。

吐き気を我慢し、明日吐こうと、毎日、朝日から逃れるように眠る。

時には、寝返りを打った君をできるだけ柔らかく迎える布団であろうとし、

時には、眠りに落ちた君の枕元で囁くマリアであろうとする。

様々な最期の時を思う。

絡まり合った今を幸せだったと思う日が来るのかもしれないと、

吐き気を我慢し、明日吐こうと、毎日、朝日から逃れるように眠る。


KAKU P-Model - ECHO-233

 「失敗の本質」の隣の「自分をみじめにしないためには」を読む。

 「完全自殺マニュアル」の隣の「脳のしくみ」を読む。

 それをどう捉えるか?

 曖昧な過去、曖昧な未来、しかし常に曖昧ではない。どうとでも言えるし見える。その時の心の状態や「言いやすさ」、「見えやすさ」で変わるものだ。全ては自分の今の存在で決まる。過去は記憶であったり今に残るものによって、未来は今の状態とその上での選択による。確たる全ては作られる。

 生きていく証がたくさんある中、目をつぶっていてもそれらは消えることはないとわかっている。全てを支える土台もその一つで……

 みんな全部確信なんて持ててない。持ってるようなふりをして生きているだけだ。森羅万象を知っていたら神様だし、確信を持っているようなふりは大人のようにも見える。それはとても楽観的で、ふりでも落ち着いて見えるだろ。みんな曖昧!しかし外見というものは素晴らしくて、顔を歪めていなければ大人に見えるね。

 どうとでも捉えられる今、そんな曖昧なままで生きてきたけど、今の状態でさえ確信を持ってこうだと言える人の方が少ないんじゃないのか?未来から振り返ってみて評価をすることはできるけれど。常に浮かれてたって、常に酔っ払ってたっていいんじゃないのか。未来から下す結論は常に単調だ。だけどみんな単調で片付けられないこんがらがった思いを抱えて生きているわけだろ。

 そんな人生、レッツゴー人生!


ゆらゆら帝国で考え中 MV

座る人間

 私は「良い子」が好きだ。

 良い子とは、よく考える子だ。自分自身について、将来について、過去について、置かれている立場について、世の中について、役割について。考えているってことは、じっくり観察できているってことだ。それはもう、沢山のことを、自分自身で。

 世の中で言うところの「悪い子」が、私は好きだ。

 悪い子とは、よく考える子だ。

 私の中では、良い子も悪い子も、よく考える子なんだ。だから素晴らしい。私が神様なら、座り心地の良い椅子を用意して、良い子や悪い子が、そこに座って考えている姿を見ていたい。

 考えてほしいと思う。沢山のことを、自分の心で。「自分の心で」というのはなかなか難しいことだ。世の中に生まれた私たちには、その影響を常に受けている。だから自分の考えというものが持ちにくいし、人の意見を聴いて、それを鵜呑みにして生きるのは、心地が良いことでもある。

 それが全てにならないように、自分の考えを作り上げていくのが人生だと、私は思う。何かに触れて、誰かと関わって、自分の心に芽生えた気持ちを、何よりも大切にして生きてほしい。「正しく認識する」というのは到底誰にも出来ないことだと思っている。だから、正しく、なんて思わなくていい。ありのままで、受け止めたり、反芻したりすることが…大事だと思う。

 

 愛とはなんだろう。「私がここにいることなのか?」と考える。正しい選択なんて、未来から見下ろさなければわからないものだ。

 愛を考える時「私はどこにいればいい?」という疑問が湧く。そして「したいことをすればいい」なんて思うこともあれば、それを貫き通すのが愛という訳じゃなかったりもする。この曖昧な文章は、敢えて書いた。それこそが愛なのだから。要するに愛とは曖昧なもので、正解も何もない。

 私の愛。仮にこの愛が成熟しなくとも、未来では次に抱いた愛で成熟するとも考えられる。未熟な愛しか持てない情けない現実。それはふと私自身を顧みた時に抱く感情でもある。

 要するに、わからない。何もわからない、としなかったのは、愛する気持ちだけはわかっているからだ。愛する気持ちだけある。それは例えるなら、ハンドルが付いてない車のようなものだ。あの人の笑顔を見ると、ガソリンが注がれる。しかしハンドルが付いてないから、ただ進むだけだ。行き先は誰にもわからない。ハンドルをつけなきゃならない。それは未熟な私だから…と理由をつけたくはないが、今のところ…私の人生にも言える。なんと未熟なことか。

 愛している。ただそれだけだ。

 正解は誰にもわからない。


Lily Chou-Chou - Experiment of Love (愛の実験)

自爆

  考え過ぎた日の朝、ごきげんよう。胃痛で寝られないまま朝を迎え、痛み止めを飲んで寝付こうとしたら自己が危うくなり寝不足。

  こういう日にしかブログは書けない。私の頭の中ではイメージとして概念がポンポン飛び出すから、文章化するには特定の条件が必要になる。それは、疲れ過ぎていたり、チロシンフェニルアラニン、ほにゃららで、結論として言えば普通じゃない時に書いている。こうして思いつくままに吐き出さなければ、どす黒ーい何かが抑圧され、意識下から無意識下に落ち、それがふとした時に意識に上ってくるのがトラウマと呼ばれるもので、この話には全然関係ないです。

「【状態異常】寝不足」みたいなタグでもつけようかな。タグで思い出したけど、いや全然思い出してなくて実は頭のど真ん中にあったけど、私みんなが思ってるより面倒くさい人間で、極度のビビりの癖に度胸試しすることがあって…要するに、恋愛のタグなんて見つけてそれが何十件もあるなんて日には、ジョンがアイムアルーザー♪って耳元で歌うもんだから、もうたまらなくたまらない。いやいけるんじゃね?まるっと好きになれなくて真の恋愛論語れなくね?って精神でそのタグに竹槍で特攻したら、精神にくる前に目の奥と脳がパチパチヒリヒリしてくるもんだからすごい。なう。体が受け付けないってどんだけだよと、この自分の童貞精神(勝手にそう呼んでいる)を笑う。笑うな。YouTubeの高く評価した動画を垂れ流してたんだけどたった今輝夜月が「みなさん!恋愛してますか?」ってきたからもう駄目。なんでこう童貞精神極まってる時にダイレクトにダメージくるやつ流れるんだろう。この間はMilk itが流れてきたし、もう駄目。浄化する為にたった今Crackerbox palace流して故人の安心感に浸っている。「浄化」って言葉を聞くと、安田講堂の放水車がブシャーしてるのが真っ先に思い浮かぶんだけど違いますね。

 もう何書きたかったのか私の毎回お馴染みの自爆によってわからなくなってしまった。タイトルは「眠くてポップだと思う」だったんだけど変えよう…もう「自爆」でいいか…なんだこれ…

  全ては、全ては私の無知から生まれたようだ。手元にあるタバコと、長年探し求めていた本は、切り離された過去の自分が手に入れた。そうだ、過去は切り離されている。だから、過去の痕跡、灰皿に積もったタバコとか…そういうものがないと、浮遊感を与えられた現在の魂は、ただ与えられた反応だけを受ける紛い物になってしまう。

  愛しさと寂しさは似ている。愛しいと思えば思うほど、その対象は儚さを増していく気がするからだ。ただそう感じただけだ。なのに、本物の対象までが、これからの未来をゆっくりと揺られ、進んでいくのが耐え切れなくなるなんて思うことは、間違っている。それは余りにも無駄な危機感だとわかっている。しかし過去の跡を目にしても、依然として私の頭では、受け入れられるものと受け入れられないものの取捨選択をしているようだ。「清らか」という定義もままならないのに。ちょうどいいタイミングで出会った私たちの、その過去に積んできた様々な経験を思うと、何故ふと立ち止まった時に、泣きたくなるのか。

  しかし何も心配はしていない。いつも通りにその思考があるだけだ。その愛しさに似た寂しさがあるとすれば、今日も対象を思い出すことができないということだ。


Temples - Move With The Season