自爆

  考え過ぎた日の朝、ごきげんよう。胃痛で寝られないまま朝を迎え、痛み止めを飲んで寝付こうとしたら自己が危うくなり寝不足。

  こういう日にしかブログは書けない。私の頭の中ではイメージとして概念がポンポン飛び出すから、文章化するには特定の条件が必要になる。それは、疲れ過ぎていたり、チロシンフェニルアラニン、ほにゃららで、結論として言えば普通じゃない時に書いている。こうして思いつくままに吐き出さなければ、どす黒ーい何かが抑圧され、意識下から無意識下に落ち、それがふとした時に意識に上ってくるのがトラウマと呼ばれるもので、この話には全然関係ないです。

「【状態異常】寝不足」みたいなタグでもつけようかな。タグで思い出したけど、いや全然思い出してなくて実は頭のど真ん中にあったけど、私みんなが思ってるより面倒くさい人間で、極度のビビりの癖に度胸試しすることがあって…要するに、恋愛のタグなんて見つけてそれが何十件もあるなんて日には、ジョンがアイムアルーザー♪って耳元で歌うもんだから、もうたまらなくたまらない。いやいけるんじゃね?まるっと好きになれなくて真の恋愛論語れなくね?って精神でそのタグに竹槍で特攻したら、精神にくる前に目の奥と脳がパチパチヒリヒリしてくるもんだからすごい。なう。体が受け付けないってどんだけだよと、この自分の童貞精神(勝手にそう呼んでいる)を笑う。笑うな。YouTubeの高く評価した動画を垂れ流してたんだけどたった今輝夜月が「みなさん!恋愛してますか?」ってきたからもう駄目。なんでこう童貞精神極まってる時にダイレクトにダメージくるやつ流れるんだろう。この間はMilk itが流れてきたし、もう駄目。浄化する為にたった今Crackerbox palace流して故人の安心感に浸っている。「浄化」って言葉を聞くと、安田講堂の放水車がブシャーしてるのが真っ先に思い浮かぶんだけど違いますね。

 もう何書きたかったのか私の毎回お馴染みの自爆によってわからなくなってしまった。タイトルは「眠くてポップだと思う」だったんだけど変えよう…もう「自爆」でいいか…なんだこれ…

どうしようもない陳腐

  私が「死にたい」と思う時は、過去の一点のみを捉えているので、今現在の私にはなんら関係のないものだ。

  目と喉の奥がツーンと痛くなり、吐き気を感じる。

  私は幼い頃、人に自分の気持ちを伝えるのが苦手だった。だから辛い時は「Here, there and everywhere」を聴きながら、一人布団の中で泣いていた。今では、どこでも、頭の中でそれは展開される。

  虚しさは感じない。ただ虚しいという言葉に合っているのは、魂は4次元的で、いつどこにでも存在するが、過去のその一点だけはどうしても消したい故に考えてしまって、存在する事を認めていることだ。

  最近は本を殴るといいことに気がついた。拳の中の骨が、殴った瞬間にぐにっと動き、関節が赤くなる。

  毛が生えている太ももの、裏の筋肉が筋張っている部分。

 


The Beatles - A Day In The Life

  全ては、全ては私の無知から生まれたようだ。手元にあるタバコと、長年探し求めていた本は、切り離された過去の自分が手に入れた。そうだ、過去は切り離されている。だから、過去の痕跡、灰皿に積もったタバコとか…そういうものがないと、浮遊感を与えられた現在の魂は、ただ与えられた反応だけを受ける紛い物になってしまう。

  愛しさと寂しさは似ている。愛しいと思えば思うほど、その対象は儚さを増していく気がするからだ。ただそう感じただけだ。なのに、本物の対象までが、これからの未来をゆっくりと揺られ、進んでいくのが耐え切れなくなるなんて思うことは、間違っている。それは余りにも無駄な危機感だとわかっている。しかし過去の跡を目にしても、依然として私の頭では、受け入れられるものと受け入れられないものの取捨選択をしているようだ。「清らか」という定義もままならないのに。ちょうどいいタイミングで出会った私たちの、その過去に積んできた様々な経験を思うと、何故ふと立ち止まった時に、泣きたくなるのか。

  しかし何も心配はしていない。いつも通りにその思考があるだけだ。その愛しさに似た寂しさがあるとすれば、今日も対象を思い出すことができないということだ。


Temples - Move With The Season

 広汎性発達障害だと、うつ病だと診断された私は、遠くへ、遠くへ。焦って焦って、日々を良くしようとしてもダメだった。誰かに追いつきたくて、けれども追いつけなくて、途方にくれて全てが徒労に終わっているようだった。

 けれども実際は、座り込んでも大丈夫だった。怖くて病院に行けない日も必要だったのかもしれない。処方薬がなくとも心拍数が上がらなくなったんだから。

  そうだ11月、何があったのかというと、全てがあった。その全てが、私の全てを覆い尽くしていた。どこかに手を伸ばしたくても、そのどこかがわからず、伸ばす手ですら剥き出しの、ボロボロの心のままだった。恋人の浮気、精神科への通院、シェアハウスの出禁、毎日の混沌とした私の精神に呆れ果てた、両親からの圧、それによる焦り……。まず、お金を稼がなくてはならない。通院に必要だし、何より両親を安心させたい。自立へ向けて、勉強をしなくてはならない。インターンで日報を書くために、毎日成果を出さなくてはならない。笑っていられるわけがなかった。楽しい時間でさえ、心の底では不安と焦りで憔悴しきっていた。

 ……それからも、色々なことがあった。悲しいことや辛いこともあった。小さな歯車が沢山あった。噛み合わさっていなかったり、逆回転してる歯車が沢山あった。けれども、7月に入った今見上げると、まだ少し霧がかかってはいるけれど、途轍もなく大きな歯車が、ゆっくりと回っているのが見える。

  11月に、ふと剥き出しの心に暖かく広がってくれた光が、今でも穏やかに私を包み込んでいる。


George Harrison - Here comes the sun

 

 

 

 

turnaround

 人間のことが大好き。

 自分が未熟ゆえ、誰彼構わず求めている…訳では決して、断じてないのだけれど「人間が大好き」、自分にとってそれは何故かを考える時、どうしても、そうなのではないか?という疑いを自分にかけてしまう。

 精神的に向上、自立、自己の尊厳の尊重、アイデンティティーの確立、そうした過程がないまま23歳になったのではと、生きているのではと……不安定な自分を埋めるための、人間を求めるという感情なのではないかと……。

 毎日を生きている。もちろん本音としては、自立してるかしてないかを提起するより、ありのままでニコニコと過ごしていたい。でも、時々立ち止まり、こうしたことを思う。考え過ぎてしまう。

 でもこれは、あまり長続きしない思考だから助かっている。他のことをするか、休んだほうがいい。

 疑うことを知らずに人間を愛したい生身の私は、その部分ではとても脆く、こうして愛するということでさえ、振り返って汚してしまう。

 何があっても純粋な気持ちのまま、人間を信じたい。人間は素晴らしいんだ。例え、自分の未熟ゆえかと思い悩んだとしても、それが例え、真実だとしても…私は進む。成長できる。悪いことが起こったとして、それを観測したとして、人間は愚かなのが世の真理だとしても、それでも、私は人間を愛したい。

 

好きな人の顔を思い出せないということ

 今日も好きな人の顔を忘れてしまう。知らない間に忘れていく。

 高校生の頃、先生の顔を見てから、必死にその顔を、表情を、家に着くまで頭の中で繰り返しながら下校したことがあった。結果は、学校を出てから30分程で思い出せなくなっていた。

 嫌だねえ、写真では思い出せる。しかしその写真のペラペラとした瞬間のみだ。脳内はどうなっているんだろうね。解明するのにどこから手をつけて良いものかわからない。写真は可。声も思い出せる。好きな人とはlikeではなくloveの方。

 「好きな人 顔 忘れる」で検索すると、私以外にもそういった人がいることがわかるだろう。思い出せる共通点(声と写真での姿は思い出せる)も一致している。日本はもちろんのこと、アメリカの論文まであさってみたが、心理学と脳科学的には未だ解明されていない現象だ。心の中で図形を思い出して回転させて、回転にかかった時間を計るといった研究は存在する。所謂Mental rotationというものだ。

 また、認知心理学でいうところの「記憶」というものの定義は、思い出す時に3つの段階をたどるものだ。その3つの段階は、①記銘②保持③想起。この3段階が行われて初めて記憶という。簡単に言えば、①目や耳などで脳が情報を受け取り②その情報を頭の中に維持し③必要な時に思い出す、という段階を踏んでいなければならない。したがってこの現象は、②の保持が出来ていないため、「記憶できていない」ということになる。つまり、③の想起の段階ですらなく、②の保持から躓いてしまっているのだ。

 脳科学の方からこの問題について考えてみる。自分の好きな人の顔を、初めて認識したら、その胸の高鳴りは相当なものだろう。脳は、好きな人の顔を常に新鮮で新しいものとして捉えたいのか。好きな人を認識した瞬間というものを、毎回求めているのかもしれない。人は、自分がまだ経験していないものや、自分の持っていないもの、つまり「新しいもの」に興味が湧くものだ。感覚的にそうだと言えるだろう。脳科学的にもそれは正しい。脳の「黒質/腹側被蓋野(SN/VTA)」という部位は、新しい情報を処理する中枢部となり、新しい刺激に反応する。そしてその部位は、記憶に関して重要な役目を担っている「海馬」や「扁桃体」に結びついている。この「SN/VTA」は、全く新しい刺激を与えられた時にのみ活性化する。

 また研究によると、中枢神経系に存在する神経伝達物質であるドーパミンは、それ自体が報酬になっているのではなく、報酬を探し出すための意欲に関係している。即ち、新しいものを認識すると、ドーパミンが放出され、報酬を探したくなるというわけである。

 見たことのない人の顔を、見てないうちから好きになることはありえない。しかし、そう仮定し考えてみると、説明できない現象が頭の中で起こっているといえる。上手く言えないが……好きな人をAさんとすると、要するに、「Aさんを好き(love)である状態」の脳内が備わってから、「Aさんを好きになる」という不思議な現象が起こってしまう。「Aさんを好き(love)である状態」とはどういうことかを詳しく述べると、好きになる以前の脳とは異なり、好きな人を見ると、ドーパミンを多く含む脳の報酬系尾状核腹側被蓋野にあるニューロンが変化する状態の脳のことである。

 「その状態の脳のまま、SN/VTAの活性化のために、保持を行わないのである!」と結論を出したら少々いきすぎか。それか、Aha experienceのように、交感神経の作用による瞳孔が開いた状態を求めているのかもしれない。しかしAha experienceは「未知のものの認識」でなくては起こらないとされている。

 

 あー、全くこの現象の仕組みはよくわからない。結論は今のところ、世界的に見て出ていない。拗ねちゃうぞ。しかしこのおかげで、私は今日も新鮮な気持ちであなたの顔を見ることができるのだ。

 えー、プログラミングをしなくなって数ヶ月が経ちました、いかがお過ごしでしょうか……。どうしようかな、続ければ飯は食えるんですよ!多分ね。ライターもやったことあるけど、お小遣い程度しか稼げなかったし、心理学のことで記事を書いたのだけれど、まだまだ未熟だと感じてそれで終了。心理学だ!しゅばばばばって詳しく書いてOK貰って、うきうきしながら私が書いた記事を見に行ったら、一般の方向けにハチャメチャ改変されていて、アッハイで終了。アルバート・エリス氏の論理療法の本「自分をみじめにしないためには」が目に留まって憂鬱の毎日……あれは良い本だ。

 終了ではないんだよな、今のところ。なんとかやっていかねばー、という気持ちを後押ししてくれるのが不変的なAll you need is loveであり、愛は可変です。しかし最高潮を漂いつつ、様々なことを考えている。悩みは尽きなくて、これこそ人間!生きてるって感じがするね。

 私は格好つけたがりだからこのブログで応答すると、あなたはすごいよ。理由?それ訊いちゃう?この私が言うんだからすごいに決まっている。その安心の波にぜひ漂ってそばにいて欲しい。人間、言葉によって認識が歪むのですごい。したがって、決して自分をみじめにだけはするな。ここでもlove...と言いたいのだけれど、どうしてもチープになる気がするし、そういうことは本人に直接言うことだよね。

 ・-- -・・- -- --・ -・ ・-・・ ・・・- 

 ・・- ・・-・- -- --・ --・・ ・-・・ ・・・- 

 -・- -・ --・-・ -・・・ ---・- ・ ・・ ・-・-- ・-・-- ・・ ・-・・ ・-・-・ --・-・ ・・ -・--・ 

 ---- --- ・-・・ ・・・ -・・-・ ---・ -・・・ ・・ ・-・-- ・・  

 --・-- ・-・ -・ ・ ・・-- --・-- ・- ・--- 

 と言いつつモールス信号。きゃーはずかしー。

 最近はえっと…第二次世界大戦のドイツ軍の戦車、恐竜、治療薬とサプリメント……あとフロイトの自我論集読んだりしてる。ぐう楽しい。楽しいからいいのだ。わっはっは。……プログラミング、やらないとな……。

 なんとか毎日を生きます。


Deep Purple - River Deep, Mountain High (Ike & Tina Turner cover)