広汎性発達障害だと、うつ病だと診断された私は、遠くへ、遠くへ。焦って焦って、日々を良くしようとしてもダメだった。誰かに追いつきたくて、けれども追いつけなくて、途方にくれて全てが徒労に終わっているようだった。

 けれども実際は、座り込んでも大丈夫だった。怖くて病院に行けない日も必要だったのかもしれない。処方薬がなくとも心拍数が上がらなくなったんだから。

  そうだ11月、何があったのかというと、全てがあった。その全てが、私の全てを覆い尽くしていた。どこかに手を伸ばしたくても、そのどこかがわからず、伸ばす手ですら剥き出しの、ボロボロの心のままだった。恋人の浮気、精神科への通院、シェアハウスの出禁、毎日の混沌とした私の精神に呆れ果てた、両親からの圧、それによる焦り……。まず、お金を稼がなくてはならない。通院に必要だし、何より両親を安心させたい。自立へ向けて、勉強をしなくてはならない。インターンで日報を書くために、毎日成果を出さなくてはならない。笑っていられるわけがなかった。楽しい時間でさえ、心の底では不安と焦りで憔悴しきっていた。

 ……それからも、色々なことがあった。悲しいことや辛いこともあった。小さな歯車が沢山あった。噛み合わさっていなかったり、逆回転してる歯車が沢山あった。けれども、7月に入った今見上げると、まだ少し霧がかかってはいるけれど、途轍もなく大きな歯車が、ゆっくりと回っているのが見える。

  11月に、ふと剥き出しの心に暖かく広がってくれた光が、今でも穏やかに私を包み込んでいる。


George Harrison - Here comes the sun

 

 

 

 

turnaround

 人間のことが大好き。

 自分が未熟ゆえ、誰彼構わず求めている…訳では決して、断じてないのだけれど「人間が大好き」、自分にとってそれは何故かを考える時、どうしても、そうなのではないか?という疑いを自分にかけてしまう。

 精神的に向上、自立、自己の尊厳の尊重、アイデンティティーの確立、そうした過程がないまま23歳になったのではと、生きているのではと……不安定な自分を埋めるための、人間を求めるという感情なのではないかと……。

 毎日を生きている。もちろん本音としては、自立してるかしてないかを提起するより、ありのままでニコニコと過ごしていたい。でも、時々立ち止まり、こうしたことを思う。考え過ぎてしまう。

 でもこれは、あまり長続きしない思考だから助かっている。他のことをするか、休んだほうがいい。

 疑うことを知らずに人間を愛したい生身の私は、その部分ではとても脆く、こうして愛するということでさえ、振り返って汚してしまう。

 何があっても純粋な気持ちのまま、人間を信じたい。人間は素晴らしいんだ。例え、自分の未熟ゆえかと思い悩んだとしても、それが例え、真実だとしても…私は進む。成長できる。悪いことが起こったとして、それを観測したとして、人間は愚かなのが世の真理だとしても、それでも、私は人間を愛したい。

 

好きな人の顔を思い出せないということ

 今日も好きな人の顔を忘れてしまう。知らない間に忘れていく。

 高校生の頃、先生の顔を見てから、必死にその顔を、表情を、家に着くまで頭の中で繰り返しながら下校したことがあった。結果、学校を出てから30分程で思い出せなくなっていた。

 嫌だねえ、写真では思い出せる。しかしその写真のペラペラとした瞬間のみだ。脳内はどうなっているんだろう。解明するのにどこから手をつけて良いものかわからない。写真は可。声も思い出せる。好きな人とはlikeではなくloveの方。

 「好きな人 顔 忘れる」で検索すると、私以外にもそういった人がいることがわかる。思い出せる共通点(声と写真での姿は思い出せる)も一致している。日本はもちろんのこと、アメリカの論文まであさってみたが、心理学と脳科学では未だ解明されていない現象だ。心の中で図形を思い出して回転させて、回転にかかった時間を計るといった研究は存在する。所謂Mental rotationというものだ。

 また、認知心理学でいうところの「記憶」というものの定義は、思い出す時に3つの段階をたどるものだ。その3つの段階は、①記銘②保持③想起。この3段階が行われて初めて記憶という。簡単に言えば、①目や耳などで脳が情報を受け取り②その情報を頭の中に維持し③必要な時に思い出す、という段階を踏んでいなければならない。したがってこの現象は、②の保持が出来ていないため、「記憶できていない」ということになる。つまり、③の想起の段階ですらなく、②の保持から躓いてしまっているのだ。

 脳科学の方からこの問題について考えてみる。好きな人ができる過程というのは、もちろん「好みの人が現れる→好きになる」というものだ。しかし、「好きになる→好きな人が現れる」ということが脳の中で起こっているといえるような研究結果がある。

 人は、自分がまだ経験していないものや、自分の持っていないもの、つまり「新しいもの」に興味が湧くものだ。脳、認識そのものも、好きな人の顔を常に新鮮で新しいものとして捉えたいのだろうか?脳自体も、好きな人を認識した瞬間というものを、毎回求めているのかもしれない。

 脳の「黒質/腹側被蓋野(SN/VTA)」という部位は、新しい情報を処理する中枢部となり、新しい刺激に反応する。そしてその部位は、記憶に関して重要な役目を担っている「海馬」や「扁桃体」に結びついている。この「SN/VTA」は、全く新しい刺激を与えられた時にのみ活性化する。

 また研究によると、中枢神経系に存在する神経伝達物質であるドーパミンは、それ自体が報酬になっているのではなく、報酬を探し出すための意欲に関係している。即ち、新しいものを認識すると、ドーパミンが放出され、報酬を探したくなるというわけである。

 見たことのない人の顔を、見てないうちから好きになることはありえない。しかし、そう仮定し考えてみると、説明できない現象が頭の中で起こっているといえる。上手く言えないが……好きな人をAさんとすると、要するに、「Aさんを好き(love)である状態」の脳内が備わってから、「Aさんを好きになる」という不思議な現象が起こってしまう。「Aさんを好き(love)である状態」とはどういうことかを詳しく述べると、好きになる以前の脳とは異なり、好きな人を見ると、ドーパミンを多く含む脳の報酬系尾状核腹側被蓋野にあるニューロンが変化する状態の脳のことである。

 「その状態の脳のまま、SN/VTAの活性化のために、保持を行わないのである!」と結論を出したら少々いきすぎか。それか、Aha experience(アハ体験)のように、交感神経の作用による瞳孔が開いた状態を求めているのかもしれない。しかしAha experienceは「未知のものの認識」でなくては起こらないとされている。

 

 あー、全くこの現象の仕組みはよくわからない。結論は今のところ、世界的に見て出ていない。拗ねちゃうぞ。しかしこのおかげで、私は今日も新鮮な気持ちであなたの顔を見ることができるのだ。

 えー、プログラミングをしなくなって数ヶ月が経ちました、いかがお過ごしでしょうか……。どうしようかな、続ければ飯は食えるんですよ!多分ね。ライターもやったことあるけど、お小遣い程度しか稼げなかったし、心理学のことで記事を書いたのだけれど、まだまだ未熟だと感じてそれで終了。心理学だ!しゅばばばばって詳しく書いてOK貰って、うきうきしながら私が書いた記事を見に行ったら、一般の方向けにハチャメチャ改変されていて、アッハイで終了。アルバート・エリス氏の論理療法の本「自分をみじめにしないためには」が目に留まって憂鬱の毎日……あれは良い本だ。

 終了ではないんだよな、今のところ。なんとかやっていかねばー、という気持ちを後押ししてくれるのが不変的なAll you need is loveであり、愛は可変です。しかし最高潮を漂いつつ、様々なことを考えている。悩みは尽きなくて、これこそ人間!生きてるって感じがするね。

 最近はえっと…第二次世界大戦のドイツ軍の戦車、恐竜、治療薬とサプリメント……あとフロイトの自我論集読んだりしてる。ぐう楽しい。楽しいからいいのだ。わっはっは。……プログラミング、やらないとな……。

 なんとか毎日を生きます。


Deep Purple - River Deep, Mountain High (Ike & Tina Turner cover)

 こんにちは。今日も、私の負けだと言わせたいような、不変的な幻……。知らない過去の記憶がともすれば、私の首とこれからの未来を締め上げていく。笑い飛ばせ!お酒だ、持ってこい!全くみじめだ。笑う。

 昔は、楽しいことに自然由来のブーストをかけていた。強烈な楽しさと苦しさの中、笑い飛ばせないような刺激の中で生きていた。だけども現実では、随分とモタモタしているように見えただろう。これからは時間を買ってのんびり生きたい。苦味は鼻を抑えても無駄で、飲み干した後はvapeのナッツ味のリキッドで落ち着いたように見せかけて…唐突のMy blood runs cold!からの、Oh well, whatever, never mind. 

 平成最後の夏、一段と飛躍していきたい。「精神 向上」で検索をかけると、抗不安薬についてのページが表示されるのをやめろ。病院通うのをやめて一ヶ月程経った現在、薬飲まないとダメかなって思っていたけれど、飲まなくてもやっていけるようになって嬉しい。精神力あなどれない。

 


Ty Segall - My Sunshine

 脚をずっと組んでいたら疲れた。雨の中、雨宿りに、途方にくれ、風を思う。側にいたい。明るい街灯の下で、人の目が落ち着かなく、私はそこに佇む。ソファーに寄りかかった100錠の薬と、弛ませた煙と、落ち着きのない視線がくらなす日々。しょうもない日々をしょうもなくなくする為に、はためく視線を絡ませる。はためく服、布団に沈む肉、今日も沈む太陽。明日も昇る太陽。天井から覗く青空と、上る煙に絡ませる指。今日も沈む液体。

 99%の期待と1%の絶望。気合を入れて日々を乗り越えようとしている。側には過去の大きな待望。乗り越えようとする跳び箱ではない。笑顔で見送ってほしい。人生に指揮棒を振れ。希望を持ち乗り越えろ。乱反射して覆いかぶさる未来。さらに襲いかかる不可解な希望。立ち止まる未来に前に進む希望を。今まで愛はどこにあったのだろう。行方知らずの恋はとめどなく、毎日誰かの手元で溢れ出ていた。わからないことを知っていながら知らないふりをして、生きてきた。次はそういかない。常に新しく生まれ変わり、私はまだ猿のまま。

プログラミングと心理学

 大学四年生の頃の悩み

 私は、大学の臨床心理学科に在学中、「傾聴して人の心や考え方を見直し、良い方向に促し改善していく(様々な療法がありますが)臨床心理士(カウンセラー)になるよりも、心理学そのものを学びたい!」と思っていました。
 しかし、私の学力では国立の大学院はハードルが高く、もし大学院に進学したら、さらに奨学金を借りないと…と現実的に考えて、厳しいなと思いました。
 そう思いつつも、就活と呼ばれる、面接を50社も100社も受けて、ようやく受かったところにスルンと入るような流れに乗りたくはありませんでした。もしそれに乗ったとしても「楽しさは果たしてあるのだろうか?もし会社が潰れてしまったら?」、と考えていました。
 そういった考えがあったので就活をせず、「これからも学び続けたい。しかし」と、考えが負のループから抜け出せなくなった時には、既に卒業論文提出の時期になっていました。
 こうした、進路に対する不安や疑問を抱えたまま卒業論文の構想を練っていたため、結果、卒業論文のテーマ自体は指導して下さる先生には高評価をいただきましたが、あまり納得のいかない結果となってしまいました。
 

プログラミングとの出会い

 その後大学を卒業し、これからどうしよう?となった時に、現在の恋人が、私が今まで全くといっていいほど触れてこなかった「プログラミング」という道を開いてくれました。

 心理学とプログラミングは全く別の分野です。「心理学をせっかく学んでたのに、なぜプログラミング?心理学学んできた意味は?」と言われたこともあります。
 しかし分野は違えど、プログラムの世界において、心理学という分野からの様々なアプローチは、プログラミングに応用できます。
 私たちの話す言語から機械語に変換したり、またその逆をやると、「こんな複雑にコードを書かないと機械は理解してくれないのか」と思います。その分、人間の脳ってすごくよくできていると認識させられます。

 認知心理学の用語である「ワーキングメモリー」は、記憶から情報を取り出し瞬時に最適なものを選ぶことができる、脳の記憶における構造の一つです。これは、プログラミングでも再現可能だと私は思います。

 もし、私たちの頭の中にある構造を丸々コードに書ける時代になったら、AIも人間と同じ仕草をし、人間のような基準で判断を下すでしょう。そうしたことから、それぞれのAI独自の、人間のような意思や性格が生まれ、まるで私たちとわからないほどに進化する日が来るかもしれません。

 コードを書くときは、実験心理学の勉強をしているような心持ちになります。先ほど上記に書いた「心理学科卒でなぜプログラミング?心理学は?」という疑問を抱くのはよくわかります。

 しかし、プログラミングの概念は、心理学専攻なら非常に理解しやすいです。また、プログラミングの世界は、学ばないとすぐに新しいバージョンができて、書き方も変わり、古い機能は廃れていきます。それは心理学もプログラミングも同じです。生涯学習、これからも学んでいきたい私には合ってると感じます。したがって、そういう意味では、心理学科卒で一般企業に就職する方がもったいないなと感じます。

 また、心理学を学んで(認知行動療法など)身についた考え方は沢山あります。現在発達段階で青年期に存在する私が、どのように自分の内面を成長させていくか。将来子供を授かった時には、これまで培ってきた、発達心理学教育心理学を活かすことができる。これだけでも、心理学を勉強してきて良かったなと心底思えます。したがって、心理学が私にとって全くの無駄になった訳では決してありません。

 

現在

 今は隔週で心療内科に通いつつ、自宅でリモートインターンを行っています。

bootcamp.fjord.jp
 いずれはウェブエンジニアとして就職できるように勉強中です。

 今現在は、自分自身が果たしてプログラマーに向いているのかということは判断できません。しかし、ターミナル、HTML、CSSをいじるだけでも、工作をしてる時のような、ワクワクした気持ちでどんどん取り組んでいます。
 また、「心理学とプログラミングは論理の組み立て方や構造が同じであり、心理学を楽しんで自ら学んでたかにはるなら、尚更プログラミングも楽しく学んでいけると思う。」と嬉しいことを仰って下さる方もいます。
 現在のインターンは、みんなで一緒に学んでいき、プラクティスをこなしていこうという、いわば学校のような仕組みなので、みんなと一緒に頑張るぞという感じでやる気がとても高まります。初めはドキドキしていましたが、リモートなので自分のペースでできますし、このインターンを始めてとても良かったです。

 先ほどの繰り返しになりますが、心理学は一生のものであり、無駄になったわけではありません。心理学は私たちの全てを取り巻くものですし、これからも心理学や脳科学、それと関連して仏教だったりと、色々知りたいことを知り、知見を広げています。今も心理学系の積読本が山ほどあり、空いた時間にちょくちょく読んでいます。私の心理学への興味というものは、今後一生飽きることはないでしょう。

 また、あまり納得のいかない結果に終わってしまった卒業論文も、ご指導を下さりながら、自分のペースで完成度をあげている最中です。

 色々なことを、自分なりに頑張るぞー!