全ては、全ては私の無知から生まれたようだ。手元にあるタバコと、長年探し求めていた本は、切り離された過去の自分が手に入れた。そうだ、過去は切り離されている。だから、過去の痕跡、灰皿に積もったタバコとか…そういうものがないと、浮遊感を与えられた現在の魂は、ただ与えられた反応だけを受ける紛い物になってしまう。

  愛しさと寂しさは似ている。愛しいと思えば思うほど、その対象は儚さを増していく気がするからだ。ただそう感じただけだ。なのに、本物の対象までが、これからの未来をゆっくりと揺られ、進んでいくのが耐え切れなくなるなんて思うことは、間違っている。それは余りにも無駄な危機感だとわかっている。しかし過去の跡を目にしても、依然として私の頭では、受け入れられるものと受け入れられないものの取捨選択をしているようだ。「清らか」という定義もままならないのに。ちょうどいいタイミングで出会った私たちの、その過去に積んできた様々な経験を思うと、何故ふと立ち止まった時に、泣きたくなるのか。

  しかし何も心配はしていない。いつも通りにその思考があるだけだ。その愛しさに似た寂しさがあるとすれば、今日も対象を思い出すことができないということだ。