意識と経験

 一時的に巨大な精神的ショックがあると、私は、目の奥がツーンと沁み、喉がつっかえるような感覚が起こる。ショックが軽いと、手の甲が若干ピリッとする。

 目の奥の沁みと喉のつっかえは「余裕なんだが?」ってグッと意識すると、胸が締め付けられる感覚に変わることがわかった!

 わかったからって、なんなんだと、それでどうということは、ないんだけど……

 

 お酒に飲まれないように自分を保つことにも、経験のおかげで慣れてきた。

 

 自分の意識は本当にウンザリだし、本当に素敵だと思う。(素敵の強調)

 自分の経験は本当に素敵だし、本当にウンザリだと思う。(ウンザリの強調)

 ウンザリと素敵は、自分にとってどちらも同じくらい感じることでも、どちらを後に持ってくるかで受け手の捉え方が変わる。

 わかったからって、なんなんだと、それでどうということは、ないんだけど……

 

 私は意識と経験について、素敵ともウンザリとも思っている。二面性という言葉があるが、人間の思考(気持ち)に二面性は存在しない。二面性は、思考ではなく言語レベルでの捉え方だ。人間がその人を「この人は言ってることがコロコロ変わる」などと捉えるのみだ。だから例えば、好きでも嫌いとかいう気持ちは存在する。だから、話の全体と部分、結論でいうとどうなのかと、きちんと文章を組み立てて、自分の気持ち、その気持ちをどう考える(扱う)かを、誤解を生まないために、上手く言葉に落とし込むのが重要になる。

 それでも、人間の気持ちというものはなかなか結論が出せないから、「時間が解決してくれるのを待つ」ということになるし、自分にとってあまりにも気持ちの整理がつかない程のことがあれば、無理に結論を出すのは良くない。マジで!そういう時ほど人間は、自分の気持ちに正解を求めたり、こう思わなきゃと余計自分を辛くさせていくからだ。

 

 ああ私の経験が育んだ「時間が解決してくれるのを待つ」重要性!

 こうしてブログを書いているのも、そのためだ。